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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京 6/8
 
上野、谷中、根津東京下町撮り歩き
  ジョニー 
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集合場所は鴬谷の駅なのだけれどウォーミングアップもかねてひと駅手前の上野で電車を降りて上野のお山を突っ切るように都美術館を横目にみて博物館横を曲がって坂をくだっていけば坂の途中に鴬谷の駅がある。やっぱり上野のお山っていうのは本当なんだ妙に実感する。
鴬谷の駅前で待ち合わせておもい思いのカメラを持ったら凌雲橋と名前のついた跨線橋を根岸に向かっておりていく。下谷、入谷とまわってもとへ戻るように線路ぞいに。谷中の墓地を抜けたら根津から上野の西郷さんの銅像の前まで。そのあとは午後の1時から数時間かなりの距離を歩いて疲れた足を休めて乾いた咽をビールでうるおす。
日をあらためて講評の時間があるのでそこでのプレゼンにおもいをめぐらす。しかしかんがえはもうほとんど決まっているのだ。デジタル・カメラ一台で撮り歩いたのだからトーゼンのことにデジタルでのプレゼントにしようとおもっている。TPOの事務局にはPCに直につなげるプロジェクターがあるそうだからこれをつかって音楽入りのスライドショーにしようか、押さえにはそれをDVDに焼いておけば万全だろう。

東京の下町といえばだれでもすぐに思い浮かべる谷中や下谷、根津あたりも東京オリンピックからこのかたすっかり様変わりをしてしまっているようで多視的なといえば聞こえはいいがじつはかなりに皮相的なものの見方しかできない現代の我々にはこれらの町の何処に江戸や東京の昔が残っているのかはかなり目を凝らしてさがしてもなかなか見つかるものではない。
  しかしなんということはない。種村季弘さんの「江戸東京・奇想・徘徊記」のあとがきにも書いているようにいまはすっかりコンクリとアスファルトで塗り固められてしまいはしたが、その下には古い東京や江戸のすがたがうもれていてほんのわずかな知識と豊かなイマジネーションがあればそのアスファルトの鋪装を一枚剥がしてかくされていた江戸や明治の東京のなごりの姿をみることができるものなのである。

たとえば小野照崎神社のうらにはこんもりとした山ともいえない土の塊がある。ご丁寧にもその前にはりっぱな門などもあってしかもしめ縄が張ってある。これまた種村さんの本からの受け売りだけれど富士山信仰の盛んだった当時の江戸には十六基もの富士山があってそれからずっと時代が下って昭和になった東京にも八つもの富士山があったという。 この山ともいえない土の塊もじつはその富士山信仰の名残りである。

ここからは飯田鉄さんの話の受け売りであるが今もところどころに残っている路地裏の古くぎのように折れ曲がった路地もじつは江戸時代 の田圃やなにかに沿って曲がっていたものだそうで、家に帰って江戸の 絵地図と見比べて見ればああなるほど、世尊寺のうらにはずっと農地が 広がっていてその時代の道が今でもずいぶんと残っていることが分か る。江戸時代の絵地図のなかの世尊寺の隅の三角形と現代の地図のそれ とを合わせてみるとそれはぴったりと重なるのに気づくだろう。「安楽 寺」や「随徳寺」ものこっているし「小野照崎神社」と「泰寿院」 のあいだは現在の道路で半分に削られながらもその場所を今に残してい る。
そうやって東京の町並みをイマジネーションの助けを借りながら見て いくと、じつは戦争や区画整理でめちゃめちゃになったとおもった東京 のむこうにはるか昔の江戸や東京が透けて見えるのである。ただしかし それを写真で表現しようとするのはすこしばかり難しいことのような気 がする。

「江戸東京・奇想・徘徊記」 種村季弘 朝日新聞社 
ISBN4-02-257889-0
「嘉永・慶応 江戸切絵図」  人文社  ISBN4-7959-1350-1