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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京 10/36
 
「夜の写真学校」長野重一写真集出版記念特別講義、長野重一をきく
 
ジョニー 
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先日プレイスMで写真家の長野重一さんの話を聞く機会にめぐまれた。瀬戸さんの主催する「夜の写真学校」の授業の一環で、長野さんの写真集の出版に合わせての特別講議といった体である。現役最長老?の長野さんだから面白い昔話がきけるだろうとはおもっていたのだけれど期待以上に興味深い話を聞くことができて2時間ほどの話のあいだずっと録音機を回していたので家に帰って面白いところをいつくつか抜き書きしてみようとあらためて聴いてみるとこれがこまったものなのである。いや面白くないのではなくてどこをどう切り取ってみても話を聞いていたときに感じた長野さんへのイメージをうまく伝えることができない。

たとえば土門拳が唱えた「リアリズム運動」のおかげでこれはひょっとして長野さんにも言えることかも知れないのだけれどそれ以前から演出的な写真をとっていた植田正治さんが長い間不遇をかこった話などをするときなどはもう50年も前のことなのに長野さんの顔はすこし怒ったような顔になっている。
  数年前に岩波書店からでた「日本の写真家」のシリーズで秋田の土門拳門下生の写真家をたずねて写真を見せてもらったときに土門さんの「リアリズム運動」に影響される以前はとてもいい写真をとっていたのに「リアリズム運動」の影響を受けて「農村改革運動」だとか「婦人子育て運動」だとかの硬直化したイデオロギー性のつよい写真ばかりになってとたんにつまらなくなったといったかとおもうと、土門拳の「リアリズム運動」功罪の功の部分は「サロン・ピクチャア」的な写真趣味に埋没していたアマチュア写真家に社会的な目線を持つことを気づかせたをところである、とかなり硬派な言いかたもする。
  小柄で柔らかい言葉遣いの好々爺(失礼!)然とした雰囲気とはすこしちがったそういうところなどは文章にしてしまうとほとんど見えなくなってしまう。おもしろい昔話を聞こうとおもっていたら意外と硬派なところがあってそれはとても魅力の部分でもある。
自らの「ドリームエイジ」を例にとって手をかえ品を変え目先の変わった写真を撮り続けなければならないフォト・ジャーナリズムのなかで仕事を続けていく限界のようなものを感じはじめたときのことを話すときにはほんとうに辛そうな顔になって話し方までしんみりと沈んでしまうがそれでもフォト
エッセイというスタイルを作り上げて写真を撮りつづけたことに話が及ぶと激変しつづけたなかで多くの大事なものを失っていったあの時代の日本を写しとったんだという自負を持っているのも感じられる。
  長谷川明氏は「写真を見る眼」のなかで、この時代の長野重一さんを評した「軽評論家」ということばを紹介している。長谷川氏はこのことばに異議を申し立てていて「一歩退いた冷静な視線は時代の観察者として相応しかった」とはしているがそれでも長野さんの写真に「手ぎわのいい職人芸」的テクニックをみている。長谷川氏はそれ以後長野重一さんはとうとう写真の世界に帰ってこなかったとしているがそれはこの本の初版が1985年なので長野さんの「遠い視線」(1989)などはまだ出版されていなくて写真月刊誌に連載されていたときだったろうからそれはしかたがない。新装版ではあとがきでそのことにちゃんとふれている。

「写真を見る眼」-戦後日本の写真表現- 長谷川明 青弓社
そしてこのことはとても重要だとおもうのだけれど長野さんは今回の話のなかで「遠い視線」というものがいかに自分らしいものであるかを何回も繰り返している。だがそれは「遠い視線」が今の長野さんのそのものだというのとはすこし違うような気がする。「60になったから撮れた写真だと思うんです」ということばもそれは枯れたとか淡々としたというのではなくて周囲の思惑を気にせずに自由に写真を撮ることのできる環境に自分を置くことのできるようになったのが60歳だったというただそれだけのことなのではないだろうか。
  つねに長い時間の流れというものが長野さんの頭の中にはにあって一見どうということのない街角が数十年後にはまったく異なったものにかわってしまうことを十分に意識している。そういった意味では長野さんの写真は今ここで機能するという類いのものではない。それはちょうど今度の写真集のなかで50年前の都電のいる渋谷の駅前があるいは銀座の三原橋周辺が被爆した広島が、現在どうなっているかを思い起こさせる写真としてのちからのひとつ、記録=ドキュメンタリー性の仕業ではないかと思っている。そしてそれこそが長野さんが写真にコミットしつづけていく理由なのだろう。そういった意味では「遠い視線」以後に撮られたというこのあたらしい写真集の後半にのっているごく最近の東京の写真のわけもおのずとわかってくるだろう。

「hysteric Fourteen- 長野重一」 
長野重一 ヒステリックグラマー
長野さんの話のなかから面白い昔話を一つ二つ抜き出して紹介しようとおもったのだけれどそういったこことは違う方向に話しが進んでしまったのは長野さんの話を聴きにプレイスMに集まった多くの若いひとたちと違ってこの写真集の写真が撮影された時代にうまれて、すこしあとの時代ではあるが同じように都電の走っている渋谷の駅前や高速道路で東京の河が占領されていない「東京オリンピック」以前の東京をすこしは知っているからなのかもしれない。だとすれば長野さんの考えているだろう写真のちからはまだまだわたしには機能しつづけているということに違いない。