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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京 2/24
 
「森山・新宿・荒木」、「美術手帖」、「植草甚一」雑感
  ジョニー
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「森山・新宿・荒木」東京オペラシティ・ギャラリー
タイトルどおりの「新宿」をめぐって二人ががっぷり四つのコラボレーションをと期待してしまうがそれは少し違っていた。じつはこの写真展、かんがえたディレクターの企画勝ちではあるまいか。
ここには「森山大道」「荒木経惟」の写真を見に来ているのではなく「森山・アラーキー」を見に来ているとおもわれる若者たちがたくさんいる。そのことは主催する側も十分わかっていると見えて上の階の会場には、夏のある日の新宿で「森山・アラーキー」を演じている二人のビデオがマルチスクリーンで用意されていて、それを若者たちが床にしゃがみ込んだり壁によりかかったりして見入っている、というような状況を目撃することになる。
その先の荒木経惟監修「冬春」「炎夏」「花秋」というタイトルの3本のアラキネマ!という映像作品の上映場所でも、映像についたアンビエントな音楽に誘われてか居眠りをしている若者がけっこういる。時々眼を開けては映像を一瞥するとまたいねむりをはじめる。まあ、アラーキーの作品にふれ乍らいい夢を見ているのかも知れな い。
そのほかにも野村佐紀子が撮影したとクレジットのある撮影行、「森山・新宿・荒木」を記録したモノクロ写真があったりと「森山・アラーキー」は撮影する側でもありされる側でもあるわけで写真展を観に行ってこれほど多量の撮影者御当人の映像に出会うというのは、それはすごいといえばスゴイというのかもしれません。
時を同じくして表参道のナデフではコンタクト・新宿・トリミングという「森山・新宿・荒木」のコンタクトプリントでの作品をふくめての展示を行なっている。ちょうど東京オペラシティのギャラリーとは相補的な関係にあるようなので、こちらを見たならばあちらもと云うことになるが何しろこちらはタダだからなあ。

美術手帖2004年12月号 特集「日本写真史がわかる!」
最近、若い人たちと話すと彼らの熱意と活力はたいしたものだと感じるが写真の歴史に対しての理解が少し足りないような気がする。まずは「モダニズム」あるいは「モダン」と云うことばについてである。「モダニズム」の言葉の意味そのものはとりわけ難しいことはなくて「近代主義」とか「現代主義」とか云われているものである。「コンテンポラリー」と云う言葉をつかうこともあるがかの地ではインテリっぽいということであまりポピュラーじゃないそうだ。この「コンテンポラリー」という言葉もひとつ入れておいたほうがイイかも知れないけど、これはまあご存じのように「同時代」と云う意味である。
これらの「モダニズム」、「コンテンポラリー」あるいは「モダン」という言葉は英語の日常の言葉としてあると同時に、そのまま美術用語もしくは美術史用語としても用いられている。
美術史用語としての「モダニズム」は二十世紀初頭をはさんだある時期を指すのがふつうで、またそのような傾向の作品を呼ぶこともあるようだ。「コンテンポラリー」についても同様で第2次大戦以降の、内面に問いを含むような傾向(いわゆる近代性
というのでしょうか?)を示す作品をさして呼ぶらしいことは見当がつく。 写真においては1966年にアメリカで開かれた「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」という写真展を企画したネーサン・ライアンズの言葉に由来しているようである。
ちなみに「ポスト・モダン」といえば80年代はじめからの10年ほどのあいだの短期間、過去の引用を多用したりしたスタイルを指すことが多いがこの定義はかなり曖昧である。しかし、曖昧のうちにことばとしてはすっかり定着してしまった。
くり返し云うがこれらの言葉は日常の英語としてだけではなく美術史のなかでつかうテクニカル・ターム(technical terms)でもあるので、モダンと云うのだから近代から今日までのすべての作品を指すはずだろうとか、「ポスト・モダン」は"ポスト"の語義からも現代の次を指すので過去のある時代をさす言葉としてはヘンだ、などと云う議論はこの際ひとまずおいておいてほしい。もちろんそういった議論からなにかがうまれるかも知れない、と考えるのは勝手であるが。
去年の美術手帖12月号では日本の写真史を時間軸と写真家の相関関係をからめて図にしたりして紹介している。「日本写真史がわかる!」かどうかは定かではないが読み終われば通史的な視点を持てるようになっている。

 

30年以上前に書かれた植草甚一のスクラップブック・シリーズの文章が復刊されてまた読むことができるようになった(ボーダイな量なので何回かに分けて刊行されているようだが)。これを読んでいると「ここでもう少しジャズを勉強しよう考えたんだ」とか「研究テーマとしてはすごぶる面白い」というようなことを云っている箇所がいくつもある。植草翁にとってはジャズを聴くことや映画を観ることは愉しみであると同時に「勉強」や「研究」の対象でもあったようだ。それはあの時代の全体的な傾向でもあったようで、趣味に対してもちょっと真面目に考えてしまうような態度は案外こんなところで習いおぼえたのかもしれない。 
 
植草甚一スクラップブック全40巻・別巻1
第1回発売2004年9月、以後毎月
3冊刊行予定。各刊1470円(税込み)晶文社