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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京 12/6
 
「モダニズムのその先、ときはなつチカラ 安井仲治とウォルフガング・ティルマンス」
    ジョニー
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ブロムオイル技法、ポートレート、ヌード、ルポルタージュ、ドキュメント、コラージュ、ソラリゼーション、街スナップ、静物写真、コンポジションと称した様々なものを組み合わせた写真、シュールレアリズム(手術台いやアイロン台だっけ、にミ シンとコーモリ傘みたいな)、カラー写真、はては油絵まで。当時考えられ試された 様々な写真の表現や技法のすべてといっていいほどのバリエーション。

昭和十七年に 38才で亡くなるときにはすでに大家といわれた技巧派安井仲治のよき時代のモダニ ズムがたっぷりとつまった写真は戦争の足音が近づく中で暗い時代を反映するようにすこしづつ不穏な空気が写し込まれていく。というより安井がそう云ったものを意識 しはじめる。神戸で撮影された「さまよえるユダヤ人」と題する写真(日本を経由してアメリカに亡命する途中とおもわれる)が、昭和17年に安井の追悼写真集として刊行された中では「三人の男」となっているがそこには戦争の暗い影がはっきりと現われている。


安井仲治写真集copyrighted by 共同通信社

安井は百年後の写真について「その芸術としての立場はあまりかわらないだろう」と云っている。その予言どおりに写真のモダニズムの系譜は四分の三世紀以上たった「今」でも「写真」であることの本流である。なぜならそれは写真を深く意識しない人びとによって再生産され続けているからである。そうかんがえながら自分自身に深くため息をつく。

そんなこんなですこし気の滅入るような気分のまま東京オペラシティギャラリーのヴォルフガング・ティルマンスの写真展へと足を運ぶと、とたんに「写真」であることからわたしを解き放つ力に出会える。 ティルマンスの写真からはかろやかなバイヴがあふれて出ている。サービスサイズの写真からたかさで3メートルはばで5メートルはあるようなおおきな写真までたんにスタティックに写真をならべるだけでは作ることのできないコントロールされた空間、ほとんどの写真はむき出しのまま壁にとめられている。
あかるい色づかいに見るひとの気持ちは自然とときほぐされる。鋼鉄製のサッシの 出窓に少しわざとらしくおかれた絵はがきのよこからは百合の花がひょろりとユーモラスにあかるい光の中に直立している写真。窓辺におかれた小物たちの写真はいくた
びかくり返しあらわれる。

水中で揺れ動くながい髪の毛のようなふしぎな線のダンス。これは地の色を変えながら二つの展示室にいく枚もくり返しあらわれるおおきなモティーフ。ファッション 雑誌の広告のような服やしわくちゃのシャツの写真。男どうしのキス。つよい風でフェ ンスに張り付いた落ち葉。クラブで踊る人たちの汗まみれの肌。とびあがる怪鳥、コンコルドジェット旅客機の写真。
レーザー照明のミラーヘッドの踊りとトランス系のビートがつくり出すコリドールの奥のビデオ作品の暗闇からもどってくるとクラブで汗まみれの人たちの写真からまた別の意味がみえてくるからフシギだ。それぞれには意味のつながらないようなものがあつまっておおきな意味を支えている。市場経済、マイノリティ、ユース・カルチャー、ジェンダー、ゲイ・ムーブメント。ポップさがそのいみの深刻さを救っている。 みせるイメージと無造作をよそおった写真たちが渾然一体となってみるひとをおおき なうねりで包みこむ。ティルマンスは「写真」を見せられているというある種の息ぐるしさから、お約束や決まりごとから解放してくれる。
そうやってわたしはティルマンスに試されるわけだ、ぼくの写真と安井仲治の写真とどっちがきみは好きだい、とね。こんなとき思い出すことがある。それはグレン・グールドというピアニストの話だ。かれはコンサートをしないでレコードだけで音楽活動をしたひとで、そんなかれがなにかのインタビューの中で友人の作曲家にこういう。「(現代曲を)演奏するのは好きだけどなぜだか自分で作る曲はどれもがみなバッハみたい曲なんだ」といいながらバッハの曲を口まねしてみせる。
この言葉を最初に聞いたときその意味のタイヘンさがよく判らなかった。でも今はその意味がよく判る、ひとはおおきな相反するものを抱えているんだ。その二つのあいだでたえずふりこのように揺れ動いているのがニンゲンなんだっていうことがね。