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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京  10/4
 
  「エプソンR-D1はデジ・ライカの夢を見るか」続。
 
    ジョニー
 
R―D1の使い勝手はどうかと聞かれれば、構える、ピントをあわせる、シャッ ターをきる、フィルム巻き上げレバーを回す、田中チョートク氏いうところの「ライカ」や「らいか」のそれとほぼ同じである、と答える。この馴染みのよさにあまり好みではないデザインには目をつぶってもイイか、という気にさせられてしまう。
しかしなぜかその操作感が華奢な感じがする。電源のオンオフのレバー、シャッターチャージ用の巻き上げレバー、いつもと同じはずのレンズのくり出しのトルクさえも軽いような気がする。いや、すこし考えるとこれは華奢というのとはちがうのかも知れない。可動部分は必要にして十分な強度はあるだろう。要は全体に精密電子機器の手触りなのだ。もちろんデジタル・カメラというのはこれ以上ないくらいの精密電子機器なのだからその手触りがそうであってイケナイ、ということはないが、わたしがカメラに期待するのはたとえば精巧な工作機械のようなものであることに気づく。無骨とも云える機械から髪の毛ほどの精度で加工がほどこされた部品がうまれてくる。つまりはそう云った手ざわりをカメラに求めているのだ。もちろんそれが現代のカメ ラにはなかなか期待できるものではないのは承知のうえでね。
このカメラは撮ったあと液晶モニターを覗いたりしない限りデジタルカメラらしい ところはどこにもない。モニター部を裏返して液晶画面を隠すこともできるしその使い方のほうがこのカメラには似合っている。その点ではデジタルカメラらしくないデジタルカメラというコンセプトは成功していると思う。とは云ってもやはりデジタル・カメラ、1ギガのSDカードにはおよそ100枚のRAW画像が記録できるがフィルムにすると2本とちょっと、というのは丸一日のスナップにはすこし心細い。それで なくともデジタルだとフィルムのことを考えなくともいいので、つい気軽にシャッターを押してしまいがちだからで、まあそれを貧乏性とも云うようであるが。 
フルサイズのJPEGの画像だと一画像で3メガと300枚以上記録可能で実用的にはこちらということになるのかもしれない。しかしJPEGはなんだか精神衛生上よろしくない。ほとんど違いはないとわかってはいても、その「ほとんど」と云うと ころに引っかかってしまうのである。やはり1ギガのカードを入れても、予備のカードは必需品かも知れない。
このカメラのおおきな特徴である新旧のライカレンズやライカマウントのレンズが使えることに関してはまだよくわからない。コンピュータのモニター画面では微妙な色合いは再現できないし、プリントアウトしてもプリンターのカラーマッチングがで きていないから正確な判断は出来ない。
ちょっと古いライカレンズ独特の赤の色味にしても、レンズの色の差よりカラーマッ チングによる差のほうがおおきいのかもしれない、あるいはRAWで撮影してプリン トアウトするまでの間のどこかで補正されてしまうせいかほとんど違いが感じられな い。もっと古いレンズになるとあきらかにフレアが出たりするがこういったものはデジタルプリントには馴染まないのかも知れなくて、ただの甘い画像にしかみえないの は困ったところである。
あのモノクロプリントならではのふわっとした白から黒までの豊かな諧調もコンピュータのモニター画面では味わうべくもないし、ましてやプリントアウトしたからといって特にライカのレンズであることを確認することはできない。そもそもコンピュータ内での8ビットの画像処理で充分かどうかも疑問である。デジタル・カメラのおおきなネックはカメラそのものではなくてこのようなコンピュータを使っての作業のほうで、むしろ考えなければならないのはデスクトップコンピュータまわりのことだろ う。
それでもこのカメラを買ってしまったおおきな理由は、レンズ交換のできる初のデジタル・レンジファインダーカメラであると云うこの一点である。これならば使いなれたレンジファインダーカメラと変らない使い勝手で、少しでも新しいことを覚えな くともいいだろうとの期待からでもある。その意味では十分に低機能、高アナクロ化した「中高年向き」仕上げになっている。新し味のないことはこのうえないからこそ、このカメラはさして新しいことを覚えずに済みそうであとはあまり細かいことを云わ ずに使っているうちに、本家のライカだけではなく後追いするメーカも出てくるだろ う。そうなればすこしはカメラの世界も性能一辺倒ではない目新しさや面白さでにぎやかなものになるのではないかという一縷の望みからでもあるのだ。