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え日記: いろは井の頭公園動物園→宿場町北千住タカラ湯
reportage par A.Takano
4/10/2004
夏のいろはは、「関東平野電車」といった懐かしい雰囲気いっぱいの東武電車に揺られ栃木市まで遠征しましたが、その時の蒸し暑さに参ったせいか否か、田中ナビは自宅から近場の吉祥寺は井の頭公園で秋のいろはのノルマをこなしてしまおうとしました。
事務局も、大昔のおデート以外都内の公園散策など無視してきたので、なんとなくいいかな位の軽い気持ちで賛成、飯田鉄さんのお勧めもあり、動物園前に集合して園内を撮り歩き、その後は賑やかな吉祥寺の街中に進出しよきビアホールにて渇いた喉を潤せばみなさんも結構満足されるであろう・・・と踏んでいたのでしたが。
決行日は25日でしたが、その数日前に井の頭行きを嗅ぎつけた大西みつぐさんから突然のメール。
以下全文掲載ー
いろは様
井の頭公園などで和むのでしたら、
ぜひ北千住の銭湯に来るべきです。
飲み屋もずっといいところがあります。
25日は町田忍さんもゲストに来ます。
こういう町の風情を見ずして、
写真の「いろは」など語れるはずもない。
小学生の遠足じゃないのだから
井の頭公園などやめにして、
ぜひ「はるか北千住」に来るべきです。
ー大西みつぐ
・・・小学生の遠足じゃないのだから・・・。フムフム〜。しばし沈思黙考。なるほど確かに象さんやうさぎさん、リスにアナグマさんなんぞを相手にしていては写真の「いろは」は語れないか・・・。みんなはこの日のためにライカやローライを持ってくるしな〜。しかも大西さんのメールを受け取った日がステップアップ講座の合評日でその夜写真美術館で大西さんと顔をあわせなくてはいけない!どうやって井の頭行きを正当化するか、あら大変!さあ、どうしましょう。田中ナビに連絡したものの彼も突然の「クレーム」問題で一瞬硬直フリーズ。今さら場所を変えるわけにはいかないだろうし、みなさんの創作イメージは公園を軸にすでに拡がっているだろうし。北千住は東京の反対側だし、ああ、困った困った本当に。
でも、そこは百戦錬磨の事務局と田中ナビ。と言いますか、ごく単純な決定を下したのでした。井の頭を2時間ほどでやっつけ有志は北千住のタカラ湯に赴く。参加できない人は井の頭で引き続き撮りまくる。というわけで休日園内のんびり撮り歩き予定が西から東へのはるか北千住へのbon voyageと相成り候。
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井の頭池を中心に「武蔵野の雑木林」として親しまれてきた武蔵野台地。江戸の大火で多くの人々が移住、開墾がおこなわれ、農業が盛んになったそうな。自然が豊かなことは、市の水道水が市内約27カ所の深さ125〜350mの深井戸から汲み上げた地下水を利用していることでも証明済み。
参加者数20名弱。突然の北千住行きの事務局からのアナウンスにより井の頭公園での撮影イメージがぶち壊され、憮然としていらっしゃる方もいれば、童心にかえり、午後の遠足に期待感いっぱいの方もいらっしゃいました。20名以上であれば団体割引あり、65歳以上半額の入園料でしたが、残念?ながら該当なしでした。
古いライカの正統的構え方です。お父様のカメラを大事に使うーこれが「いろは」クラブメンバーの正統的考え方です。さてさて、このライカは「?」型でしょう。当てた方にはTシャツ+素敵な写真集を差し上げます。
タイ生まれの象のはな子は、戦後最初に来日した象で今は歯が1本しか残っていません。リス園では二重ドアを開ければ檻の中でリスと遊べます。リスのめまぐるしい動きを見ている内に目を回して倒れる年配者もいるそうです。気をつけましょ。シカ、ハクビシン、アナグマ、タヌキ、キツネ、ヒツジ、ヤギ、コールダック、アカゲザル、アムールヤマネコ、フェネック、オジロワシ、ワラビー、アライグマ、ヤマアラシ、モルモット・・・。これらが主な獣民です。
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/zoo/inokashira/
さて、みなさんは吉祥寺から北千住までどのようなルートで辿りつきますか?東京の西から東へ・・・券売機の前でしばし激しく百家争鳴状態。JR新宿ー西日暮里ー千代田線北千住、否、JR秋葉原ー日比谷線北千住・・・結局、事務局裁定で秋葉原ルートに決定。これで乗り換え1発。であれば単調な日常生活に疲労気味の田中ナビは必ずや車中で居眠りするに違いなし、この読みは図星でした。
千往は寛永年間(といってもわからんでしょう、1620年頃?)に日光街道の全21宿の1番目の宿場と決められ荷物の運搬や旅をする主に大名、役人などの公用人などの街道を行きかう人々のために宿泊や休憩をする場所として大事な役割を果たしてきました。
また、松尾芭蕉は上野谷中から奥州へ旅立ったのが3月27日の早朝でしたが、千住で舟を降り、旅の第一句を発声ー
行春や鳥啼魚の目は泪
戦災や最近の駅前開発でだいぶ往時の面影はなくなってしまいましたが、お化け煙突(4本の煙突が見る角度により1本になったり、2本や3本にあなったりするので「お化け」と呼ばれた。事務局幼少時は王子の飛鳥山で朝から晩まで遊び呆けていましたが、この煙突が視界にいつも入っていたわけです。確か小津安二郎の映画にも出てきたと思います)のあった東京電力千住発電所方面に歩き出し、日光街道を渡ったところが空襲にも焼け残った千住柳町。商店街の中には古い建物も残っていおり、遊郭があったところでもあり、赤線は昭和32年に廃止されるまで営業を続けていたそうな。
名倉と言えば江戸の昔からある有名な骨接ぎですが、旧日光街道と分岐する下妻道に面して古風な旧名倉医院が建っています。この医院の周辺には、治療を受ける患者が宿泊できるように多くの宿屋があったそう。タカラ湯に向ういろは面々。手配書きにじっと見入っています。
こちらタカラ湯は、昭和2年に営業を始めたお風呂屋さんで、現在の建物は昭和13年に建てられたもの。 終戦直後は、毎日1500人から2000人、大晦日などは3000人もの客が一風呂浴びに来たそうで、場内足の踏み場もないほどのイモ洗い状態だったそうな。
「はるか北千住」を見ずして「写真のいろは」が分かるか!と喝破した大西みつぐさんです。いろはメンバーは、兎にも角にも一風呂浴び、早く冷たいやつをグビーしたいため、大西さんとのお話もそこそこに切り上げ、駅前のこれぞ北千住!の大衆酒場、安くて旨くて早い「永見」へとダッシュしたのでした。大西さんのおかげで充実したいろはの会となりました。謝謝。
湯気いっぱいの洗い場には、さすがに写真は展示されていませんでしたが、脱衣場や「ロビー」の壁、庭先、廊下などいたるところ大西さんの写真で溢れていました。なぜか大西さんの足元には蛇酒が。
日光街道から入ったところが「いろは通り」商店街。駅前スーパーに負け「商店街通り=シャッター通り化」が全国的流行ですが、こちら宿場町北千住ではまだまだ勝負はついていません。
井の頭公園へのアクセス:
JR中央線祥寺駅下車
北千住へのアクセス:
JR、東京メトロ日比谷線、千代田線北千住駅下車
タカラ湯: 東京都足立区千住元町27-1
http://www.slowtime.net/takarayu/history1.html
永見:足立区千住2-62 03-3888-2528