延び延び延びのいろはCLUB撮影会。ようやく事務局と田中ナビの意見、日程などが合致し、5月末の梅雨空模様の栃木の街を散策することになりました。と言っても栃木の前知識もさほど持ち合わせていないので、下町・懐古ワールドに類まれなる情報をお持ちの飯田鉄さんからオリエンを受けることを決定。飯田さんが建築家の卵相手に講義する、とのたれこみ情報があり、決行前日に早稲田大学の大隈講堂周辺で待ち伏せ、捕捉、ターゲットをゲット。大学裏の今や死語となった「喫茶店」に連行させていただき、栃木情報アレコレをココア一杯で白状していただきました。
栃木市は、江戸時代、日光東照宮の例祭に京都の供物を届ける、日光例幣使街道の宿場町として栄え、街の中心を流れる巴波川の舟運で賑わったそ うな。今でも豪壮な木材回漕問屋の屋敷の一部が残っている。ちなみに天 保14年(1843)の町内人口3999人、家屋数1030軒。
おそらく最近ではほとんど読まれなくなったであろう、『路傍の石』『女の一生』などの作家、 山本有三が生まれ育った街でもある。
「動くもの砕けるものが大きくからだに伝わってくる」
久しぶりのいろはに、久しぶりの面々。現地合流メンバーも加え、総勢10余名が栃木漫歩に参加。往路の車中で、にわか勉強。あそこもいいな、ここも いいな、と期待を膨らませたものの、かなりの蒸し暑さで、成果があったような、ないような・・・。
事務局と田中ナビは、よさげな居酒屋を探し回ったものの、「この街には飲み屋はない」と道行く人たちからのすげない返事に、そんな馬鹿な!と、炎天下を捜査活動、しかし疲弊し、諦め、足を引きずり、二人して風呂にざぶんこ。 金魚湯の屋号の通り、たくさんの金魚が風呂で遊泳。 ところで栃木の街の家並みはみな日光男体山に向いていて、細長い建屋になっている。これは冬の山からのおろし(風)を避け、戸の開閉時に家の中に吹き込ませない工夫だそうな。ただし、ほんの一部にしか現在は残っていない。これは道中こちからお願いしなかったのに、ペラペラとお喋りしてくれた 方からのお話でした。
大広間以外にもあちらこちらにカラオケ装置があり、最終収容人数は五百人はいけちゃいそうな空間が、昼時憩いたい老人たちを待っている。
金剛さまもあちゃこちゃに鎮座。
風呂屋金魚湯”の報告になってしまいましたが、あとはご自身で探検しにいってください。
交通機関: 浅草発の東武日光線快速が便利。所要1時間18分。940円。 車利用の場合は、東北自動車道栃木ICから県道32号線に。箱森の交差点を右折し、次の信号を左折、そのまま県道32号線へ。 問合せ先:栃木市観光協会 0282-25-2356