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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京  7/29
 
  「物語り」の復権?
 
  ジョニー 
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恵比須にある東京都写真美術館でオーストラリアの写真家たちによる写真展「世界 は歪んでいる。」が始まったんだけど、このタイトルはどうかな?。
短編映画の筋書のような文章とコマーシャルフィルムのようにていねいに上質で滑らかに仕上げた写真を組み合わせて物語にしたダレン・シルヴェスタの作品。
 
ゴシックムービーにヒントを得たというか赤の色づかいや音楽の扱いがまんまD・リンチなD・ヌーナンとS・トレヴァックスの作品。
オーストラリアにある広々とした英国式庭園にたたずむカンガルーやこれでもかと 云うくらいに電飾で飾り付けられたシドニーにあるフォックス・スタジオ、レジャー・ランドの人工風景を大形カメラで撮り続けるアン・ザハルカ。
 
アボリジニの少女の夢と祈りを幻想的なイラストの書き込みで表現してみせたトレイシー・モファット。
一見するとふつうのポーズだけれどなんだか変に見える、俳優たちを撮ったエライ ザ・ハッチソンの作品なんかはそれが撮影された状況の種明かしを知ってしまうとその力技に思わず脱帽せざるをえないなあ。
それにしても「世界は歪んでいる。」というタイトルにはどうしてもひっかかってしまいます。これについている英語のタイトルは「スーパーナチュラル、アーティフィシャル」で、こちらのほうはこの写真展の作品通りのきわめてわかり易いもの。ちょっと即物的なタイトルのつけかたかもしれないけれど世界が歪んでいるなどといったこ けおどかし、あるいは世の中のいろいろなことをすぐに社会の病理として解釈してみせるようなキメかたに比べればずっとまし、そういうのはどこか意図が見えすいてしまっている気がする。人はありがちな枠組みに当てはめてしまうユーワクをなんとか してでも克服しなければならないんじゃないかな。
 アンドレイ・タルコフスキーの写真集が出た。といってももともとのイタリア出版のイギリスでの再版らしい。原寸大のインスタントフィルムを白いページにはりつけて余白をおおきく残した、と云うような見立てになっていて、ところどころの余白に映画の一コマのメモのような詩のような、短い文章が差し込まれている。
その文章を読みながら小さなインスタントフィルムに目を凝らしてページをめくっているといつの間にか彼のつくりだす物語の世界に滑り込んでしまう。これは彼の映画作品とおんなじ感覚。彼の口から語られる「物語」に身を任せてその「語り」の声の響きや抑揚を味わう。写真と云う世界でもタルコフスキーは映像の詩人たるその力をまざまざとわたしたちに見せつけてくれたと云うわけです。
両方の作品とも映像によって物語りをしようとする意図はあきらかなんだけど、その力量の差もまたあきらかになってしまっているような気がする。それはこの現実を どうやったら独自の「語り物」としての映像に作り上げるかという作業に長けている か否かの差なんだろうね。
とはいっても「物語り」だけがやりかたのすべてではない。一方に感情を排したタイポロジカルな写真の流行りがあって(これについては少し懐疑的なんだけど)、その一方に口承的な匂いのする写真がある、もちろんその中間にもありとあらゆるスタイルがあり、まったく方法も考え方も異なったものがおなじこの時代にひしめきあっているなんて写真と云うものは実にかんがえさせられます。