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FOTOLOGUE/フォトローグ
 
  FOTOLOGUE東京8/28
 
『東京コンフィデンシャル』
東京という都市への内面の旅に出たジョニーは霧に包まれた
    ジョニー
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『東京コンフィデンシャル』で高瀬毅は東京を語ろうとするとき、かたくなに記号で語ることを避けようとする。その語り口はまるで70年代のフォークソングの歌詞のようにせつなく、わたくし的である。
ここで語られるのは著者の東京、への旅である。それは記憶のかなたに向かって手探りで歩くようなものであり、引っ掛かり、躓き、立ち止まる。その逡巡のしかたはとてもかすかで気づかれないようにはじまり、そして終わる、そこがとても興味深い。しかしそんな同道の旅もあっけなく、そして意外な短さで終わってしまったりする。もう少し知りたいことがあったのだが、しかし彼はそのまわりをぐるっと回るだけで深追いはしない。
 そういった点で彼の文章は写真的というより、テレビのドキュメンタリーの映像である。それは決してネガティブな意味ではないが、なぜだかそれはあまりに今日的すぎる、とかんじるのはわたしだけだろうか。
東京を触媒として都市(あるいは日本)を語るという点では、『東京の肖像』のピータ・ポパムもそうである。建築家でもあるかれは、積極的に東京の建築物を記号化して東京を理解しようと努力する。それは外国人の即物的な理解のしかたと受け取られそうであるが、最初の章のおわりには建築家「磯崎新」の言葉を引用するようなことも忘れてはいない。著者のピーター・ポパムはしたたかでキレる男である。
それは彼がアイルランド生まれであるということと関係しているのかもしれない。その現実的な、しかしウイットに満ちた語り口は、切れのいい翻訳とあいまってまさに視覚的、写真的ですらある。明瞭なフォーカス、きれのいいコントラスト、単純明解な構図、それは写真の必要としているもの、そのものではないか。記号的な解釈にさえも、個性を込めることができるということをこの本は教えてくれるような気がする。
実は、種を明かせばこの2冊、『東京コンフィデンシャル』は2003年に出版された新刊本であり、『東京の肖像』はいまから15年前に書かれた本である。15年前といえば浅田彰の『逃走論』が出版されたころでもある。時代といえば時代の仕業ではあるが、わたしには現在の超微私的で自己完結的な主題のすえ方よりもむしろ前の時代の力技的な現実解釈の方が肌にあうのだが。

 『東京コンフィデンシャル』高瀬毅著 えい出版
 『東京の肖像』ピーター・ポパム著 高橋和久訳 朝日新聞社