幻冬社刊『ブルース』
解説 高野てるみ
リチャール・ボーランジェ著
村上龍 監修
 
平成9年4月刊 幻冬社文庫

才能ある作家を輩出できなくなって久しいフランス文学界。ここに突然ベストセラー上位の売上げを確たるものにした男がいるとの噂を聞いたのは今から八年前のこと。その男は作家という以前にフランス映画界にコイツありと誰もが知っている存在、リシャール・ボーランジェなる人気の役者。
ああ、あのボーランジェか、ジャン=ジャック・ベネックス監督作品『ディーバ』で、水中メガネをかけて料理なんかしちゃうヘンな、謎の男。存在感は異常にあった男。彼が自分の生きザマを詩ともエッセイとも小説ともつかない独自の文体で綴ったものが、フランスで売れに売れているという事実ー(ボーランジェ自身から聞いたところによると、“夜の街は美しい”というタイトルを持つこれは、小説というより“ブルース”なんだそうだが、そしてフランスの芸術家たちが敬愛してやまない“サムライ”みたいに生きた男の話なのだとも)。
それにしても一日十五万部売れた日がある本とは、どんなものなのだろう(針小棒大にものを言うパリっ子達の習い性を知って割り引いたとしたって、彼らも火のないところに煙を立てたりはしないしなぁ)。フランスと少しばかりの縁がある私としてはすぐさまその本を手にせずにはおれなかった。実はそのニュースが、事実、私のために語られているも同然の立場に、私はいたのである。
ボーランジェ・ベストセラー本の噂が届くか届かないかの頃、私の会社は、彼が珍しく主演していてパリで大評判となった『フランスの思い出』を手に入れていた。この作品はその年度末にその年最も優れた作品に対して贈られる(アメリカのアカデミー賞のような)セザール賞の、主演男優賞を獲り、私とスタッフはこの作品の上映を前に大きなムシャブルイをしていたのだ。そこにこの噂。私にとってはまさしく神からの授かりもの。ビンゴ!スロットマシーンで言うとジャック・ポットである。
とは言うものの、映画のプロモーションのために主演男優の著書出版なんて、何とも手がかかり過ぎるし、正直ボーランジェは(現在だって)、日本の“お茶の間”では無名のヒトなのだ。しかし“しかし”だからこそ価値がある存在だったりする。“知る人ぞ知る”存在のブランドものを、常にアサる人々(私を含めて)のために向けて(そういう場合は三千部で打ち止めだが)、出版されるべき本である、これは・・・・。それにしたってフランスで日に十五万部売れるものが、日本においてはこれだもの(本はもちろん、我らがフランス映画だってそう。四百万人動員ものが、日本は百分の一集めてせいぜい・・・・・)。だが、この私、わが社こそが、そういうものを目の前にして、挑戦意識(誰へだかよくわからないが・・・・・)をメラメラと燃やして当たり前。見過ごしておれるわけもなかった。
映画に比べると本の版権は、安・・・・・かった。
大プロデューサーの浅知恵と言われようとも、(“知る人ぞ知る”ヒトを、よく知られているヒトに語ってもらえば、より多くの人に知ってもらえる)というこの方法をとらねばこの本の出版は不可能と、そこまでは明解であった。まずはボーランジェを語るに値すると考えられる人材を探し回った。いっそのこと文章に関わらない分野のヒトがよい。フランス好き、ボーランジェのようにミュージシャンでもあること、生きザマに男らしさのこだわりを持っていること、などなど、と勝手に考え、ある超人気デザイナー氏へ依頼をしてみた。Y・Y氏である。そして大変に興味を持っていただけた。その話が実現するならと、すぐさま出版を決めて下さった会社もあった。その計画を聞いて驚かない出版関係者はいなかった。いや、ファッション関係者も同様だった。スタート順調。しかしY・Y氏と私はフランスに対して思い入れがあり過ぎたのかも知れない。時間をかけたが、思いだけがつのる。フランスの版元との契約期間も切れかかる。
そこへ、ボーランジェ本人が来日し私に直談判に来るという。数年の間に彼の出演作が日本でもたて続けに公開され、彼のファンは確実に増えている。しかも彼の前妻との間に出来た娘ロマーヌは、『野生の夜に』という作品でフランス映画界期待の大型新人女優として躍り出たところだった。父娘で共演している『伴奏者』のプロモーションで日本にやって来たボーランジェは、開口一番、「本、どうなっている」 と、配給元に大声で叫んだそうだ。
ドイツでなんて一年以内で出版されたんだぞ、日本でグズグズしている奴ってドイツなんだ、なーんて結構、怒って駆けつけていらした。こちらと言えばファン根性まる出しで、やれうれしやとばかり指定のバーでご対面。
「なぜY・Yが俺の人生を描くんだ」
「なぜ俺が一ヵ月もかからず書いたものがすぐ翻訳できないんだ」
「マダム・タカノ、あなたは俺とこの本を弄んでやしないか」
なぜ、なぜ、なぜ・・・・・映画の役どころは地なのであった。叫ぶ、吠える、あのハスキーな声でたて続けにまくしたてる。しかしフランス人は、誰もがそうであるように、主張が強い。驚くにはあたらない。ロマーヌが大のY・Y好きということが中和剤にもなり、実際のY・Y氏に会っていただき(たちまちふたりは意気投合)、四年目からの再チャレンジが始まった。ふたりの男がよく知り合うことが一番と、ボーランジェは彼のパリコレのモデルにもなったし、CD制作の際はこの本の一部を朗読もした。しかし、やっぱり本は出来上がらなかったのだ・・・・・。プロデューサーがいて、書き手がいて、しかし、その気にさせる編集者が必要なのだ。だが、超多忙のY・Y氏に四六時中張りつける編集者なんて、どこにいるのだろう。結局、私の計画は頓挫した。
ボーランジェは、私の会社で責任を持ってすぐにでも出せと、私に命令するが、違うんだってば、出版のシステムがサ、仏と日では、ね。
一昨年のカンヌ映画祭で滞在中のマルチネス・ホテルででも『パリの天使たち』のプロモーションのため、インタビューに応じてくれた彼は、開口一番、「本、本、本、どうなっている」 と、そのことばかり、エンエン。インタビュー中止。
「私はウソつきじゃない。あなたのためにこうして常にかけ回り、ベストをつくしているじゃないか。よりよき書き手と、出版元を探すことは私にしか出来ない」
ちょっと半ベソで反撃したら、攻撃のホコ先をサッと変えた。私は悪くないと言う。悪いのはY・Yであるとつくろってくれた。さすがはフランスの男。女を立ててくれる。いい男である。もしかしたら、本当に私は、ボーランジェを弄んでいることになるのかしら・・・・・。何か出版されないほうがいいような気もして来た。こうして怒られたりしているのもいい気分だし・・・・・。
しかしそのうたかたの迷いを正気にして(しまった)下さった実力ある人物が、私の目の前に現れて(しまった)、ついに、ついに、彼の“ブルース”は、日本で初のお目見えと相成る(・・・・・ってしまった)。
昨年のカンヌ映画祭の前にはパリの版元ドゥ・ノエル社を訪れ、堂々と明言した。
「本当にお待たせしたけれど、今度こそは本物だ。フランスでも著書が平積みされている日本で人気の高い村上龍氏に手がけてもらえるという出版社が名乗りをあげて下さった。しかも出版元の見城社長は業界きっての辣腕。実現は確実です」 と。そこには、ヒョッコリ顔を出したボーランジェも加わり、全員がトレビアンと上機嫌。しかし、誰もが私の言うことを信じてはいないのだ。フランス人相手によくもこの大ボラ吹き女!オナカのなかでは言っているに決まっている。私はすかさず村上氏の仏版『コインロッカー・ベイビーズ』をボーランジェに渡し、「彼がやってくれれば、日本でも十五万部は夢じゃないわ」と、軽口をたたいてしまう(いや、なまじっか、これはウソにならぬ。イケるかも)。
もう、それ以来、彼は怒ってこない。
待っているのだ。信じて待っている、ひたすらに、待ってくれた彼。
彼は何度か会っている時にこう言った。
「俺の本は、若い奴らが読んでくれたんだ。俺もアイツ等に読んで欲しくて書いた。街にいる、ストリート・キッズみたいな奴らが、俺の生き方を読んで感動してくれた」
ゲンズブールが亡くなり、そして時代が変わり、ボーランジェは彼に代わるフランスの若い男たちのあこがれの的ではある。
「でも俺はゲンズブールみたいに生きられない。昔は遊んだけど、今はまともだ。今は家庭を大切にしている。こういったものは人間を保守的にしてしまう。ある程度金が貯まっていくと、やっぱり男は自由じゃなくなってしまう。それが昔と違ってしまった俺だ。しかも、家族ってヤツは、映画づくりより難しい存在なんだよ。まったくなあ」
と、いいオヤジっぽく言うのだ。ゲンズブールみたいに死ぬまでメチャクチャ出来ないんだという彼。でも、それってとっても時代的。ロマーヌのいいパパである彼は、今やフランスの若者みんなのパパ、オヤジなんだ。
だから、普段、自分の父親と話なんかしない、本も読まない男の子たちには、絶対にこの本、読んで欲しいものだ。そしてボーランジェに、今でもサムライでいたい彼に、感動の手紙を出してあげて欲しい。サムライの国からのレターが来れば、彼もここまで待った甲斐があるはずだ。
私はこの本を手に、カンヌ映画祭五十周年の今年、カンヌのマルチネス・ホテルに胸を張って、凱旋できる。
そして、それよりも何よりも先に山本耀司氏にお届けしたいと思う。本は氏の手によって世に出なかったけれど、ボーランジェとの友情(amitie)をとりもてたことは、私の誇りである。
それにつけても、“ 幻冬舎コネクション(村上龍さんに快諾させてしまうコネ)”の実力、底力(担当を引き受け、実現をめざしフンばってくれた山口ミルコさんのねばり強さ)には改めて脱帽。プロフェッショナルたる仕事さばきは、立ち上がって実現するまで約一年半で一丁上がり。見事なものである。感謝の気持ちでいっぱいだ。
村上龍氏がボーランジェの次なる“ami(ダチ)”となる日は近い。
ー映画プロデューサー/巴里映画T.P.O.代表