1941年9月1日。地元住民は、実印を持って東郷国民学校(千葉県茂原市)に集まるよう通達を受けた。「大東亜共栄圏に占める日本の役割は重大で、この地における軍事基地の建設は必要欠くべからざるものである。時局はまた時間を待てず、住民は三か月以内に用地境界より500メートルに移動すべし」とのことであった。 この瞬間に、海軍茂原飛行場建設は実行に移された。用地買収は、住民に選択の余地すら与えられずに行われた。戦争末期にかけて、拡張に拡張を重ねたこの飛行場は結局、終戦までに完成しなかったようだ。 現在、この飛行場跡地には、住宅地が造成され、工場も建てられている。農地として再び開墾された所も多い。兵舎等があった居住区域には、学校が建てられ、普通の街になっている。 時間は止まらない。作者は、時間の流れとともに飛行場の遺構が消え去るのか、また街に姿を変えた跡地が今後どう変わっていくのかに思いを馳せながら、シャッターを切り続けた。