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「映画鑑賞中落ち」A 05.7.30

この夏の冒険大作ハリウッド映画3本に無心になる楽しみ味わいましたか?

「スター・ウォーズ」が始めて日本に上陸した頃こそが、巴里映画のビジネスチャンスの到来の時でもあった。SFXを駆使したハリウッド映画に誰もが眼を見張り、それまでアメリカ映画と互角で人気を分かち合っていたフランス、イタリア映画は精彩を失い、全国展開する作品も少なくなってきた。
単館系作品として、マニア向けの映画としての作品として観客に選ばれる、観客を選ぶ存在へと変化していった。
だからこそ、ミニ配給会社が買い付けをすることが可能になり、巴里映画も、これにビジネスチャンスを賭けたのだ。

そういうプロデューサーとしての思い、感慨にふけることとないまぜに、いち映画ファンとしての純粋に「観たい,どうしても」と思う映画はもちろんそのスターウォーズの最後の最後の作品である、「エピ3」。

先々行で、ちゃんとお金を払ってみるのが楽しみなのだ。「観ておかねば話にならない」と思って、居眠りしながら見た、「エピ1,2」とは違い、自分にとっても20年以上を経て謎が解けるエポックメイキング的存在、ゆえに「観ておかねば明日はない」存在の、「エピ3」。

感動しました、マジです!
暗黒に堕ちる人間には、言い訳も出来ない訳がある。悪人が、どうして悪人になったかには、人間だったからゆえと言うしかない訳がある。それが自己中心的なものであれ、説得力のある理由があるのだ。世に、悪のはびこらぬ理はない。悪に手を染める覚悟、悪魔に身をゆだねる人間について
知りた意と思わぬ人はいないはず。凡人ゆえの興味の対象としては、ダントツのはずで、私もその一人。

ダースベーダーは、20世紀を代表する悪の華、シンボルですから。だから、なぜ、バットマンになったの?もすごく知りたくなる。あ、彼は、正義の味方でしたっけ?失礼しました。

今回の「バットマン」も大好きだ。荒唐無稽で、アジアンテイストを織り交ぜたせいか、

あんなにお金を使っているにもかかわらず、劇場にはあまり大勢の観客は、「何故なったんですか?」と、観に来てくれてないみたいだが、ジャック・ニコルソンが怪演俳優として、天下一品と評判をとるにいたった最初のジョーカーに繋がる終わり方は、当たり前かもしれないけれど、なるほど。と思い、真相を教えてもらった満足感がある。

いろいろ真相解明が出来て、満足、満足。しかし、何回でも観たいとは思わない。真実を知ればよいのだから。その点、「宇宙戦争」は違う。今のところ、2度見たが、もう一回観てもいい。

ウエルズの原作文庫本は、各出版社が、こぞって出しているので、訳の違いを楽しもうと,ハヤカワ、角川の2冊買い、映画鑑賞後、トム様の全編パニクリまくりのお姿を思い出しながら読みすすめたりして、小説(19世紀の話なんだから、映画みたいに手はかかっていないが、結構迫力あって怖いゾ)と映像の違いを楽しんだ後に,また,もう一回観てもいいと思っている。そういう楽しみ方が好きで、でも、そういう作品もいつもあるわけではない。

が、「あんな不作はない、皆そう言ってますよ」と仕事関係の方に言われ、白い眼で見られた感じ。映画の仕事をしていたら、好きな映画を好きと言えなくなるようなところがあるのだが、構わないです、どう言われようが、トム・クルーズの出る映画は、面白いし、映画の見方は、自分流でいいんですよ。皆様。

「映画鑑賞中落ち」@

ちょつとばかり長く人生やっていると、映画の良し悪しもわかってきます。何回か観るうちにあっと眼からうろこが落ちることもある。思いつくままに、そんな作品の一つ一つをご紹介しましょうか。
NHK BS の「ミッドナイト・シアター」は、ハードワーカーにとってのオアシス。このチャンネル観てる人は、あんまり若い人は少ないようですが、 深夜の 0 時から 2 時間近く映画を楽しめる人と言ったらどんな方々なのか、いつも疑問に思いつつ、観ている。
いい映画と、そうでもない映画がワラワラと放映され、油断がならないのであるが遅くに食べた食事のデザートタイムに、ソファーに横になりながらほとんど消化を助けるための時間つぶしとして、なかば侮りながらみているのだけど、だから、つまらないものだと、ぐっすり寝てしまい、その後ベッドに入ると目が冴えてしまうという悪癖にもなっている。

そういう中、眠気も吹っ飛び、字幕の一行一句に目を凝らすような、作品にも出くわす。7 月 9 日の「インテリア」もそういう傑作である。脚本がいい映画は、どんな少作品であっても退屈しないものだが、さすが、ウディ・アレンのものとしても、完璧に近い作品だから、時間の長さを感じることもなく、ある家族の崩壊の重い話が、さらりと完結する。

「地球は女で回っている」なんて作品を、後期に作っているアレン監督は、女性に振り回されるだけ振り回される男の立ち場から、実に女性の描き方が上手なのである。 「インテリア」は、残酷で、ほんの数十年の間に年老いて、タダ、タダ鬱陶しく思えてきた妻に、正直にその思いを伝え、さっさと離婚を申し渡し全くタイプの正反対の女性を見つけ再婚する、父であり,夫である男が巻き起こす悲劇である。関わる家族と、そのパートナー全員が、この事件に巻き込まれることになる。

登場する娘 3 人も自立する大人であるから、両親の年老いてからの離別に取り乱しはしない。深く傷ついていても、この運命のなすがままの日々を過ごす。

「人間は生きている限り苦悩や、苦労の連続である。」と、この作品終了後に放映された彼のドキュメンタリーでアレンは語っていたが、言い換えれば、人間に、男と女がある限り苦悩や、苦労はつきないようだ。

完璧に近い生き方の妻の存在が息苦しいと思う夫、知性的で、作家としても優秀過ぎる長女に萎縮して、充足感を得られない文芸評論家の恋人が、自由奔放な、タレント崩れの三女をこともあろうか誘惑しようとする。こんないくつかのエピソードが展開していくのだが、これではまるで、男たちからすると、女に問題があるといわんばかりなのである。日本だったら、男の身勝手に泣く妻、女たちと被害者意識を丸出しにして、世間の同情を買うことが出来るであろう。また、今の時代なら、不誠実な男は、世間から抹殺もされよう。しかし、ウディ・アレン描く女と男たちは、誇り高い大人である。また、男と女がある限り、どうしようもなく、問題は起きる。これに打ち負けた者は、 死を選ぶしかない。この緊張感溢れる人間関係こそ、真の人生であることを、この映画は、語る。日常のシーンである家庭と家族の絵柄や、会話の中に、それらを美しくも描いているところが並みの才能ではない。

結婚式と葬式を映画の中に組み込む、映画作りの常套法どうりの手法をとりつつも、尋常ではないそれら儀式が、尋常ではない人生の中のひとコマであることを作りこむアレンの才能が、天才的に感じられる作品である。そして、彼は、一言を見終わったものに稿残す。「女がいる限り、人生は苦労が尽きないのだ」と。同じく女からもそう言いたいと、観終わった私は思うのであるが。